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モーニングノートとは。50代が「知らなかった自分」に出会う朝30分の書く習慣

その夜のSECOND SEMESTER。少し離れた席で、OL風の若い女性が二人、話していた。私はカウンターでグレンフィディックを傾けながら、聞くともなしに聞いていた。

「あっ、もうこんな時間。私そろそろ帰らなきゃ」

「えー、久しぶりに会ったのに。明日休みでしょ、最終電車もまだあるじゃない」

「そうなんだけどね。実は先々週くらいから、モーニングノートっていうのを始めててさ」

「何それ?」

「うーん、朝起きたらすぐ書く、日記みたいなもの」

「どうしたの、急に」

「この前、仕事で悩んでた時にたまたま実家に帰っててね。私、不機嫌まき散らしちゃって、些細なことで母とも喧嘩して。帰り道、父が駅まで送ってくれたんだけど」

「うん」

「『お前も仕事してるんだから色々あるだろうけど、まずは自分を見直してみるといいぞ』って。それで、車の中でモーニングノートのことを教えてくれたの」

「へえ、お父さんが」

「最初は何だそれって思ったんだけど、『自分を見直す』ってどういうことだろうって、妙に引っかかっちゃってさ。それで始めてみたんだ」

「面白そう。で、自分は見直せた?」

「それがね、まだよく分からないの。父が言うには、一ヶ月しないうちに何か見えてくるらしいんだけど」

「まだ三週間くらいだもんね」

「そう。それに私、何でも続けるの苦手じゃない? 今回は珍しく続いてて。もうすぐ何か分かるかもって思ったら、辞めたくなくてさ。だから明日の朝に備えて、今日はもう帰ろうかなって」

「そういうことなら、引き留めたら悪いね。よし、今日はお開き! また会った時、どうなったか聞かせてよ」

「ごめんね。ありがとう」

二人は会計を済ませて、店を出ていった。


ふと、カウンターの奥の黒板が目に入った。マスターの青島さんが週替わりで書きつける、今週の言葉。

自分で自分を
どう思うかは
他人にどう思われるかより
ずっと大切だ
― セネカ

あの子の父親は、ちょうど私と同じくらいの歳だろうか。顔も知らない。名前も知らない。でも今朝も、どこかの家で、私と同じ歳の男が、ノートに向かっていたのかもしれない。そう思うと、なんだか一人じゃない気がした。

実は私も、モーニングノートを毎朝続けている一人だ。だから、あの父親の言葉が、他人事に聞こえなかった。

グラスを置いて、マスターに聞いてみた。

「マスターは、モーニングノートって知ってました?」

「……ええ。私も、取り組んでいた時期がありました」

「結構、やってる人いるんですかね」

「皆さんお忙しいから、と始めない方も多いですし、途中で挫折してしまったりとか」

私は、もう一度あの黒板に目をやった。あの子の話にも、私自身にも、妙に響く言葉だった。

「あれ、いい言葉ですね。セネカ、か」

「セネカの言葉として、伝わっていますね。もっとも、ああいう古い言葉は、本当に本人が言ったかどうか、確かめようのないことも多いらしいんですが……。ただ、誰が言ったにせよ、いい言葉だと思って、書きました」

なるほど、と思った。言葉の値打ちは、誰が言ったかではなく、それが自分にどう響くかで決まる。マスターらしい選び方だ、と思った。

それ以上、青島さんは多くを語らなかった。でも「取り組んでいた時期がありました」という静かな一言に、この人にもきっと、ノートと向き合った夜があったのだろうな、と思わせるものがあった。

娘に習慣を手渡した父親。そして、目の前のマスター。モーニングノートというのは、こんなふうに、静かに続けている人が、思ったよりあちこちにいる習慣なのかもしれない。今日は、その正体を、私の実感とともにお話しします。


モーニングノートとは何か——「考える」のではなく「吐き出す」

モーニングノートとは、ごくシンプルに言えば、朝起きてすぐ、頭に浮かんだことをひたすら手書きで書き出すという習慣です。

ここで大事なのは、多くの人が誤解するポイントです。これは「日記」ではありません。「今日の目標」を立てる場でも、「悩みを整理する」場でもない。もっと言えば、うまく書こうとする必要すら、まったくないのです。

やることは一つ。頭の中に浮かんできた言葉を、良し悪しも、順番も、意味すらも考えず、そのまま紙に吐き出していく。それだけです。

「考える」と「吐き出す」は、まったく違います。考えるのは、頭の中で言葉をこねること。吐き出すのは、浮かんだ端から外に出すこと。モーニングノートは、徹底して後者です。頭の中の未整理な言葉を、整理しないまま、そのまま紙に移す。いわば、脳のゴミ出しです。

だから、きれいな文章である必要はまったくありません。誤字も、言葉の重複も、支離滅裂も、全部そのままでいい。後で読み返すことも、人に見せることも、一切考えなくていいのです。


なぜ「朝」なのか、なぜ「手書き」なのか

モーニングノートには、大きな二つのルールがあります。「朝であること」と「手書きであること」。それぞれに、理由があります。

なぜ朝なのか

起きたばかりの脳は、まだ日中の情報で埋め尽くされていません。前日の疲れやタスクが整理され、比較的クリアな状態にあると言われています。

この、まだ何も詰め込まれていない朝の時間に、頭の奥に沈んでいた本音や、昨夜のうちに浮かんでは消えた考えが、するりと出てきやすい。日中の忙しさが始まる前の、静かな時間だからこそ、自分の内側の声が聞こえるのです。

もっとも、これは「早起きしてやれ」という意味ではありません。夜型の方は、一日の終わりの静かな時間でも構わないと私は思っています。大切なのは時刻そのものより、誰にも邪魔されない、頭が静かな時間を選ぶことです。この点は、朝型夜型それぞれの過ごし方として、2階でも詳しく書いています。

そもそも、書いて心を整える方法は、モーニングノートだけではありません。もっと広く「ジャーナリング」と呼ばれる手法があり、こちらは時間も、ページ数も、書くテーマも、すべて自由です。朝でなくてもいい。1ページ書かなくてもいい。寝る前に、その日感じたことを数行書くだけでも、立派なジャーナリングです。

なぜ手書きなのか

スマホやパソコンで打つのではダメなのか。よく聞かれます。

結論から言うと、手書きをおすすめします。理由は、手書きは、遅いからです。

キーボードは速すぎます。速いと、頭で考えた"完成した文章"を打つ作業になってしまう。一方、手書きはゆっくりです。書くスピードが、思考が湧いてくるスピードと近い。だから、考える前の"生の言葉"が、そのまま紙に乗りやすいのです。

それに、キーボードには変換があり、修正があります。無意識に「整えて」しまう。手書きには、それがない。書いた言葉は、そのまま残る。この"整えられなさ"こそが、モーニングノートには必要なのです。


50代のための、現実的なやり方

そもそもモーニングノートとは、アメリカの作家ジュリア・キャメロンの著書『ずっとやりたかったことを、やりなさい』で提唱された手法です。A4用紙3ページ分を、毎朝、手書きで書き綴る。「思考の排水(モーニング・ページ)」とも呼ばれています。

ただ、正直に言います。50代がこの「3ページ」をそのまま真似しようとすると、まず挫折します。「朝からそんな時間は取れない」と、三日で終わる。

日本語なら「1ページ」で十分

実は、この「3ページ」という目安は、アルファベット(英語)を基準にしたものです。

日本語は、漢字やひらがなが混ざり、一文字あたりの画数も情報量も多い。ですから、日本語でノート1ページを埋めるエネルギーは、英語の3ページに匹敵すると考えていいと私は思うのです。実際、私は毎朝1ページを書いていますが、それだけで30分はかかります。

手が止まったら「書くことがない」と書く。そこからが本番

書いていると、必ず手が止まる瞬間が来ます。何も浮かばない。

そんなとき、私はそのまま「書くことがない」とノートに書きます。「何も浮かばない」「眠い」「今日は寒い」。それで構わないのです。大事なのは、手を止めないこと。内容を選ばないこと。

そして、ここが一番お伝えしたいところなのですが——実は、この「書くことがない」と書いた後からが、本番です。

浮かぶ言葉が尽きて、絞り出すのをやめて、「書くことがない」と正直に書く。すると不思議なもので、その直後に、ふっと言葉が出てくることがあるのです。それも、頭で考えて選んだ言葉ではない。どこから来たのか自分でも分からない、けれど妙に本音に近い一言が。

思うに、「書くことを探している」うちは、まだ意識が働いています。良いことを書こう、意味のあることを、と無意識に構えている。その構えが、「書くことがない」と観念した瞬間に、ふっと緩む。そして、緩んだ隙間から、普段は蓋をしている本当の言葉が顔を出す。

だから、手が止まっても、そこでやめないでください。「書くことがない」は、終わりの合図ではなく、本音が出てくる直前の合図なのです。「脳のゴミを出そう」とか「前向きになろう」とか、そんな意識も要りません。ただ、その瞬間に頭にあるものを、サラサラと書き流していく。それだけで、その後の一日の頭の中が、驚くほどすっきりします。

3週間目に訪れた、「知らなかった自分」との対面

店にいたあの女性が「まだ三週間」と言っていましたが、実は私にも、忘れられない"3週間目"があります。

殴り書きを始めて3週間ほど経ったある朝、いつものようにノートに向かっていると、ふと、こんな瞬間が訪れました。

「あれ、俺ってこんなふうに考えてたのか」

自分の手が書いた言葉なのに、まるで他人の本音を覗いたような感覚でした。それは、知っていたようで、実は全く分かっていなかった「本当の自分」の姿だったのです。

普段、私たちは仕事や家庭の役割という"仮面"をかぶって生きています。50代ともなれば、その仮面をかぶっている時間の方が、素顔でいる時間よりずっと長い。そして、自分がどれだけ本音に蓋をして、惰性で日々をやり過ごしてきたか——それに、ノートが静かに気づかせてくれました。

あの女性の父親が言ったという「まずは自分を見直してみるといい」。そして「一ヶ月しないうちに何か見えてくる」。あれは、たぶんこのことです。彼もきっと、自分のノートの中で、知らなかった自分に出会ったのでしょう。


道具が、習慣を作る——万年筆とノートという相棒

毎朝30分、手を動かし続ける。この習慣を支えてくれるのが、書く道具です。

「たかが文房具」と侮れません。大人の習慣化には、「形から入る」ことが、意外なほど効きます。お気に入りの道具があると、その道具を使いたくて、朝ノートを開くようになる。道具が、習慣を引っ張ってくれるのです。

私が毎朝の相棒にしているものを、ご紹介します。

軽くて疲れない万年筆——パイロット・ライティブ

私は字が汚く、長年「万年筆は字がきれいな人が使うもの」と思い込んでいました。その思い込みを覆してくれたのが、パイロットの「ライティブ」です。手頃な価格で驚くほど軽く、30分書き続けても手が疲れない。力を入れずにインクが滑るので、汚い字のまま(笑)サラサラ書くのに最高の相棒です。

なんだかカッコいい、青インク

インクは青(ブルー)を使っています。選んだ理由は「なんだかカッコいいから」。それだけです。でも、この直感が案外大事で、後から調べると、青は目に優しく、記憶にも良い影響があるとも言われているそうです。理屈は後づけでいい。気分が上がる色を選ぶのが、続けるコツです。

裏抜けしないノート——マルマン・ニーモシネ

万年筆と相性が抜群なのが、マルマンの「ニーモシネ」です。紙質が素晴らしく、万年筆でしっかり書いてもインクが裏に染みない。ペン先が気持ちよく滑るので、毎朝の30分が、ちょっと贅沢な時間に変わります。道具が揃うと、朝ノートを開くのが、少し楽しみになるのです。

これらの道具については、1階の文房具の記事でも、資格勉強の相棒として詳しく書いています。あわせてどうぞ。


書くことは、50代の自分を取り戻す作業

モーニングノートは、勉強術でも、自己啓発でもありません。

それは、肩書や役割に埋もれて見えなくなった「自分」を、毎朝すこしずつ掘り起こす作業です。会社での立場、家庭での役割、世間の期待。50代ともなれば、そういうものに何十年も応え続けてきました。その過程で、「自分が本当はどう思っているか」を、いつのまにか後回しにしてきた。

あの黒板の言葉を、もう一度。「自分で自分をどう思うかは、他人にどう思われるかより、ずっと大切だ」。他人からどう思われるか。私たちは、あまりにも長く、そちらばかりを気にして生きてきたのかもしれません。モーニングノートは、その矢印を、そっと自分の方へ向け直してくれます。

一日のうち、たった30分。誰の評価もない、自分だけの時間。そこで出会う"知らなかった自分"こそが、これからの人生の後半戦を一緒に歩く相棒です。

顔も知らない、どこかの同世代の男。娘に習慣を手渡した父親。多くを語らないマスター。そして、この記事を読んでいるあなた。みんな、朝の静かな時間に、同じようにペンを走らせている——そう思うと、一人で始める習慣も、少しだけ心強い気がしませんか。

明日の朝、まっさらなノートを一冊、開いてみてください。うまく書こうとしなくて大丈夫。「書くことがない」から始めれば、いいのですから。

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