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50代の学び直しは、もう遅いのか。「今さら」が「今から」に変わる二周目の勉強論

(バー「SECOND SEMESTER」のカウンター。隣の新山さんが、ジェイムソンのソーダ割りを片手に)

新山さん「この歳になると、人に教わる事って、なくなりますよねえ」

マスター(グラスを磨きながら)「教わらなくても、困らなくなりますからね」

新山さん「そうそう。仕事は経験でだいたい回るし」

マスター「……回ってしまうのが、厄介なんですけどね」

新山さん「そうなんだよ、何とかなってるんだよ… でもさ時々思うんだよ。」

マスター「……」

新山さん「本当に何とかなってるのかなって」

マスター「大丈夫だと思いますよ」

新山さん「そうだといいんだけどね」

マスター「……」

新山さん「今となっては誰も教えてはくれないからなぁ」

壁の黒板には、今週の言葉。「雨垂れ石を穿つ」


誰も教えてはくれない、か。俺はグラスの氷を鳴らしながら、新山さんの話の続きを聞いていた。

「人に教わること」が、50代から静かに消えていく

新山さんは、もうすぐ50歳。その夜、彼が話してくれたのは、少し年下の部下の話でした。

その部下が、突然「学び直し」に目覚めて、英会話教室に通い始めたそうです。

行ってみると、講師は自分よりずっと年下の女性。

——正直、大丈夫かなと思った。

部下はそう白状したそうです。ところが、教室を見渡すと、生徒は自分と同世代か、年上ばかり。そしてその全員が、真剣に学ぼうとしている。その空気に圧倒されて、講師を年齢で少し舐めていた自分を恥じ、背筋を正す気持ちになったと。

「久しぶりに、人に物を教わった気がしました。何かを教わるって事も、その向き合い方も、忘れてましたよ」

そして部下は、こうも言ったそうです。「逆に自分は、ちゃんと教える事ができてるのかなって。日々これ勉強ですわ」

新山さんは、この話に少し心が動いた。でも、部下のように行動に移すことには、躊躇している——そう言って、ジェイムソンのソーダ割りを口に運びました。

その躊躇、痛いほどわかります。

考えてみれば、50代の日常から「人に教わる」という体験は、静かに消えています。仕事は経験で回る。会議では教える側。家庭でも頼られる側。誰かの前に生徒として座る機会なんて、もう何年も、下手をすれば何十年もない。

マスターの言う通りです。教わらなくても、回ってしまう。回ってしまうから、止まっていることに気づかない。


俺が話し方講座で持ち帰った、思ってもみなかったもの

実は私も昨年、半年ほど「話し方講座」に通いました。

動機は単純で、発声法やリズムといった、テクニカルなことを学ぶつもりでした。声の出し方を直せば、話は上手くなるだろうと。講師は、以前地元の放送局でアナウンサーをされていた方でした。

初日は発声練習から始まり、腹式呼吸のやり方などを学びました。そこで次回の講義に向け、何と宿題が出されたのです。内容は、自分自身の棚卸しでした。自分は何を大事にしてきたのか。そしてどんな自分になりたいのか。

「この年で宿題? しかも、なりたい自分?」

正直、面食らいました。声の出し方を習いに行ったら、自分の中身と向き合わされたのですから。

ただ、講師の説明には納得させられました。話すことに苦手意識のある人は、自身の思いや頭の中にあることが、言語化できていないことが多いのだそうです。インプットはできていても、アウトプットにはトレーニングが必要である、と。

自分への問いかけから言語化していくこの手順は、2階で書いたモーニングノートの習慣にも通じるものがあります。

こうしてスピーチ力の講義を経て、最終的にはコミュニケーション力としてコーチングの基礎や、自分の感情をコントロールしてEQを上げていこうという講義にまで及びました。

半年を終えて思うのは、テクニックはもちろん学んだ、ということ。ただ、持ち帰った一番大きなものは、注文した覚えのないものだったということです。

ここに、50代の学び直しの本質があると思っています。

学びの価値は、何が出てくるか事前に分からないところにある。部下さんも同じです。英会話を習いに行って、「教わるという姿勢」と「自分はちゃんと教えられているのか」という問いを持ち帰った。どちらも、入口の看板には書いていなかったものです。


50代の学びは「二周目」である。だから一周目より面白い

「今さら勉強して、何になる」という声が、自分の中から聞こえてくるかもしれません。資格を取ったところで転職に有利な歳でもない。記憶力だって若い頃とは違う。

その通りです。だからこそ、はっきり分けて考えたい。

若い頃の勉強は、いわば人生の一周目の勉強でした。試験のため、進学のため、就職のため。科目は与えられ、成果は点数で測られ、他人と比べられる。あれは「やらされる学び」です。

50代からの学びは、二周目です。

試験も、順位も、締切もない。何を学ぶかを自分で選べて、途中でやめても誰にも叱られない。点数の代わりに得られるのは、「教わる側に座る」という久しぶりの姿勢と、思ってもみなかった副産物。部下さんの背筋が伸びたのは、英語力がついたからではありません。生徒の椅子に座り直したからです。

しかも二周目の学びは、暮らしの中に既に居場所があります。朝型の方なら、朝のゴールデンタイム夜型の方なら、夜の静寂。学んだことは肩書に代わる「話せるネタ」にもなる——このビルで書いてきたことが、全部ここに繋がります。


何から始めるか。「気になる」が最強の入口

では、何を学ぶか。

ここで真面目な人ほど「役に立つものを選ばなければ」と考えて、止まります。でも二周目の学びに、その基準は要りません。私の話し方講座も、役に立つかどうかで選んだというより、「気になった」から行った。それで正解でした。

入口は大きく3つあります。

① 教室に通う。私の話し方講座がこれです。同じ教室に通う同世代の存在そのものが刺激になる。部下さんが圧倒されたあの空気は、教室でしか味わえません。

② 本から始める。一番手軽で、一番自由。1階で書いた万年筆とノートを相棒に、書き込みながら読むと、一周目とは別物の読書になります。

③ 通信講座。教室ほど腰が重くなく、独学ほど孤独でもない、中間の入口です。大手の通信講座なら、資格系から実用・趣味系まで幅広く揃っています。

おすすめの使い方は、申し込む前に、まず講座の一覧をただ眺めてみることです。スクロールしながら「お、これは」と手が止まったものがあれば、それがあなたの「気になる」です。役に立つかどうかは、その後で考えればいい。何も引っかからなければ、まだその時期ではないというだけのこと。それが分かるだけでも、眺めた価値があります。


結論:学びは、注文していないものを持ち帰らせてくれる

50代の学び直しは、遅いのか。

この問い自体が、一周目の発想なのだと思います。遅いか早いかは、締切がある人の言葉です。二周目の学びに締切はありません。

部下さんは英会話教室で、英語よりも先に「教わる姿勢」を持ち帰りました。私は話し方講座で、発声法よりも大きな「自分の棚卸し」を持ち帰りました。学びとは、そういうものです。注文した覚えのないものを、必ず一つ、持ち帰らせてくれる。

新山さんは、まだ躊躇しています。それでいいと思います。心が動いた時点で、半歩目はもう出ている。

あの夜、勘定を済ませる新山さんに、マスターは一言だけ聞きました。

「新山さん。最近、何か気になってることって、あります?」

新山さんは「ん〜、まぁ〜、あるっちゃあるかな」とつぶやきながら、少し楽しそうに店を出ていきました。

黒板の言葉を、もう一度。雨垂れ石を穿つ。雨垂れは、今日の一滴からです。

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