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50代の勉強法|覚えられないのは当たり前。「思い出す」と「少しずつ」で記憶は定着する

その夜のSECOND SEMESTERは、めずらしく賑やかでした。カウンターの端で、若い男性が二人。二人とも30歳前後でしょうか。ジントニックを傾けながら、何やら祝いの席のようです。

私はいつものグレンフィディックのストレートを舐めながら、聞くともなしに、その会話を聞いていました。

「じゃあ改めて、宅建合格おめでとう」

「ありがとうございます。これも前原さん始め、会社の皆さんのおかげです」

「いやいや、頑張ったのはお前だから。……それにしても、アラサーからの勉強はきつかっただろう」

「きつかったです。うちは業界にいるんで5問免除があるとはいえ、学生の頃みたいに時間も取れないし……。十年の時の流れを感じましたよ」

「アホ、そんなこと言ったら高田部長に怒られるぞ」

「ははっ、そうでした。……高田部長には、ずいぶん質問して教えてもらいましたよ。正直、あの人の教え方が一番わかりやすかったです。何と言うか、勉強そのものへの向き合い方を教わった気がします」

「でもよ、すごいよな。あの人、五十過ぎてから、しかも直接関係ない難関資格に合格したんだからな」

「ほんとですよねぇ」

前原さん、と呼ばれた先輩の方が、グラスを置いて、少し声を落としました。

「俺さ、実は同じ時に試験受けてたんだよ」

「そうだったんですか」

「三年前かな。ちょうど、今の山本と同じ歳だ。……俺も、お前と同じこと思いながらやってたよ。社会人になってからこんな目にあうとはってな。途中で心が折れてさ。もう来年でいいや、なんて考えてた。そしたら高田さんに、こんなジジイがやってるのに情けないぞって、喝を入れられてな。それであの人のやり方を聞いて、真似したんだ」

「アクティブリコールと、分散学習ですよね」

「そう、それ。あれは効いたなぁ。ほんと、学生の頃に知ってればって、悔やんだよ」

山本さん、と呼ばれた後輩が、にやりと笑いました。

「……いや、知っててもやってないと思いますよ」

「確かにな」

二人して笑っています。少し間があって、山本さんが言いました。

「でも高田部長って、めちゃくちゃ頭の回転が早くて、すごいじゃないですか。そんな人でも、勉強って苦労するんですね」

「お前も聞いてるとは思うけど、頭がいいとか回転が早いとか、そういうのは全然関係ないってな。もちろんゼロじゃないんだろうけど、それよりも、続けてやることの方がずっと大事だって。……実は自分も、机に向かうのが嫌で嫌で、一週間まるっとサボった時期があったって」

「あの高田部長がですか」

山本さんは、ふと何かを思い出したように、続けました。

「そういえば、それ、自分にも教えてくれてたんですよ。自分も、忙しさにかまけて勉強が手につかない時期があったんです。そしたら高田部長、『どうだ~。やってるか~』なんて言いながら、タイミングよく現れて。思わず話しちゃったんですよね。今、勉強が手につかなくなってることとか、仕事を優先するべきだって考えてることとか。……そしたら、それでも、また今日から積み直せばいいだけだって。今日一ページでも、一問だけでもいいからやってみろ。継続ってのは、途切れないことじゃない。途切れても、また始めることなんだ、って」

「それ、絶対お前のこと見ててくれてたよな」

「自分もそう思います。今思えば、なんですけどね」

「ホント凄い人だよ。自分も年取った時、あんな風になれたらって思っちゃうよ。継続すること。コツコツ続けることかぁ~」

「あーあ。学生時代から、コツコツやっておけばなぁ……」

「だから、知っててもやってないって」

「ですよね」

また二人で笑って、それから会計を済ませ、機嫌よく帰っていきました。

静かになった店内。私はふと、カウンターの奥の黒板に目をやりました。マスターの青島さんが、週替わりで一言を書きつけている、あの黒板です。今週は、こう書いてありました。

毎日少しずつ
それがなかなか
できねんだなあ
― 相田みつを

今夜の二人の会話に、ずいぶん似合う言葉だな、と思いました。

あの二人の上司は、たぶん私と同い年だ

彼らが話していた「高田部長」という人。五十を過ぎてから、仕事に直接関係のない難関資格に合格した——。聞けば、部署も営業とは違うようでした。日々の業務にどうしても必要、というわけでもない。それでも挑んだのだといいます。

顔も知らない人ですが、たぶん、私と同じくらいの年代なのでしょう。そう思うと、なんだか妙に心強い気持ちになりました。同じ時代を生きてきた、同じくらいの歳の誰かが、今もどこかで机に向かって、しかも心が折れかけながら、それでも続けている。その事実だけで、少し背筋が伸びるような気がしたのです。

正直に言えば、私はこの歳になって、若い頃のようには覚えられなくなりました。本当に、驚くほど覚えられない。テキストを読み込んで、なるほどと納得して、本を閉じた——その瞬間に、「あれ、今なんて書いてあったっけ」となる。冗談ではなく、閉じた瞬間です。

これでは、心が折れて当然だと思いました。あの前原さんが「もう来年でいいや」と思ってしまった気持ちが、痛いほどわかります。

テキストを閉じた瞬間に、もう忘れている

私たちの世代の勉強法といえば、とにかく「書いて覚える」でした。単語帳を作り、ノートに何度も書き写し、手が覚えるまで繰り返す。あれはあれで、一つの根性の形ではありました。

でも、五十代の頭で同じことをやると、どうにも空回りするのです。何度書き写しても、翌日にはきれいさっぱり消えている。若い頃は、この「書いて覚える」でなんとかなっていたはずなのに。

ここで一つ、大事なことに気づかされました。「読み込んで、納得する」というのは、実は勉強した気になっているだけで、記憶にはほとんど残っていないらしいのです。読んでいる最中は、たしかにわかった気がする。でもそれは、目の前に答えが書いてあるから、わかった気になっているだけ。本を閉じた瞬間に消えるのは、当たり前のことだったのです。

では、どうすればいいのか。彼らが口にしていた、あの二つの言葉が手がかりになります。

覚えようとするな、思い出そうとしろ

一つ目が、アクティブリコールです。難しそうな名前ですが、要は、「何も見ずに、記憶から情報を能動的に思い出す」という作業のことです。

テキストを閉じる。そして、今読んだところに何が書いてあったか、何も見ずに自分で絞り出してみる。思い出せない。そこから、もうひと絞り。この「苦労して思い出すという、脳への負荷」を繰り返すことが、記憶を定着させるのだそうです。読んでいる時の、あのすらすらと理解できる心地よさとは、まるで逆。むしろ、思い出せずに唸っている、あの苦しい時間にこそ、意味があるわけです。

マスターの青島さんに、この話をしてみました。「読むだけじゃダメで、思い出す練習が要るらしいですよ」と。青島さんは、グラスを磨く手を止めずに、短くこう言いました。

「そして、誰かに説明するようにやるといいそうですよ」

まさに、そこなのです。人に教えるつもりで、自分の言葉に置き換えて声に出してみる。すると、自分がどこをわかっていて、どこが曖昧なのかが、驚くほどはっきりします。うまく説明できないところは、要するに、自分でもわかっていないところなのです。

思えば、あの山本さんが言っていました。「高田部長の教え方が一番わかりやすかった」と。人にわかりやすく教えられるということは、その人自身が、誰よりも深く理解しているということ。きっと高田部長は、後輩に教えることを通して、自分が一番、学んでいたのでしょう。説明できて初めて、「わかった」と言える。

感心して聞いていると、青島さんが、もう一言だけ添えました。

「その説明する相手も、具体的に想定すると、効果が上がるそうですよ」

漠然と「誰か」ではなく、たとえば新入社員の顔を思い浮かべて、あの子にわかるように話すには——と考える。そこまでやると、ぐっと身につく。なるほど、と思いました。私にとっての「あの子」は、さしずめ、今夜帰っていった山本さんあたりでしょうか。

まとまった時間なんて、もう取れない

二つ目が、分散学習です。これがまた、五十代にはありがたい話でした。

私はずっと、勉強というのは、まとまった時間で腰を据えてやるものだと思い込んでいました。夕飯を済ませて、よし、今日は三時間やるぞ——そう意気込む。ところが、まず無理なのです。三十分もすると集中力が切れて、気づけばスマホを触っている。若い頃のように、長時間ぶっ通しで机に向かうなんて、もうできない体になっているのです。

ところが、分散学習の考え方はまるで逆でした。まとまった時間を一度どんとやるより、短い時間に分けて、間隔を空けて繰り返す方が、記憶はずっと定着する。そもそも、「一日◯時間やらないと勉強にならない」という発想が間違いだったのです。机にまとまって向かう必要はない。五分、十分の細切れを積み上げて、一日のトータルで見ればいい。一日三時間を一回どんとやるより、二十分をあちこちの日に散らした方が、むしろ記憶に残る、というのですから。青島さんの言葉を借りれば、「一度に多くを詰め込まず、少しずつ、何度も」というわけです。

これは、目から鱗でした。細切れの時間しか取れない私たちの生活は、勉強に不向きなのではなかった。むしろ、理にかなっていたのです。通勤電車の中で十分。昼休みに五分。寝る前に十分。そうやってあちこちに散らばった、まとまりのない時間こそが、実は記憶の定着には向いている。「まとまった時間が取れないから、勉強できない」というのは、ただの思い込みだったわけです。

もっとも——理屈はわかっても、その「毎日少しずつ」が、これがまた、なかなかできないのですが。

天使と悪魔のささやき、そして「継続」の正体

正直に打ち明けます。机に向かおうとするたび、頭の中で二人がささやき合うのです。世代がバレますが、トムとジェリーのアレです。片方の肩に天使、もう片方に悪魔。

悪魔の方が、いつも耳元でこう言います。「別に、もう勉強しなくたって、誰も責めやしないぞ。この資格を取らなくたって、誰も困らない。今さら、何のために?」と。これが、なかなかの強敵なのです。学生の頃は、試験に落ちれば進級できない、就職に響く、という差し迫った理由がありました。でも今は、やめたところで、明日の生活が変わるわけではない。その「やらなくても困らない」という自由が、いちばんの誘惑になる。

そんな時に思い出したいのが、あの高田部長の言葉です。継続とは、途切れないことではない。途切れても、また始めることだ——。

私たちはつい、「毎日欠かさず」を自分に課して、一日サボった時点で「ああ、もうダメだ」と全部を投げ出してしまう。でも、あの頭の切れる高田部長ですら、一週間まるごとサボったというのです。それでも、また机に向かった。今日一ページでも、一問だけでもいい、と自分に言い聞かせて。大事なのは、途切れさせないことではなく、途切れた後に、もう一度始められるかどうか。それだけだったのです。

頭の良し悪しは関係ない。才能でもない。ただ、途切れても、また始める。泥臭くそれを続けられた人が、五十を過ぎて、難関資格に受かる。前原さんが「あんな風になれたら」と憧れた、その背中の正体は、たぶん、そういうことなのだと思います。

不恰好でも、また今日から積み直せばいい

あの黒板の言葉を、もう一度。

毎日少しずつ
それがなかなか
できねんだなあ
― 相田みつを

できないのが、普通なのです。毎日少しずつ、が一番難しい。それをわかった上で、それでも、途切れたらまた始めればいい。今日サボったなら、明日また座ればいい。それだけのことを、気負わず、不恰好なまま続けていく。

思い出すこと。誰かに説明するようにやること。まとまった時間を待たず、細切れでいいから手をつけること。そして、途切れても、また始めること。難しい理屈は、たったこれだけに集約されます。あとは、始めるだけです。

あの二人が祝っていた合格も、その先にいる高田部長も、みんな、この地味な繰り返しの先にいたのでしょう。ならば、私たちにもできないはずがない。グラスの底に残ったグレンフィディックを飲み干して、私はそんなことを思ったのでした。

さて。何から始めるかで迷っているなら、まずは机まわりを整えるところからでもいいかもしれません。書く道具の話はこちらの記事で、そもそも「何を学び直すか」という話はこの記事で書いています。一度は諦めた資格にもう一度、という方は資格リベンジの話も、よかったら。

-1F 知性と書斎